「だろう」運転と「かもしれない」運転―2

 野村です。

 先日の「だろう運転-1」の続きです。ちょっと理屈っぽくなりますが、お付き合いくださいね。

 見通しの悪い交差点を通過する際の、歩行者の飛び出しのケースで考えてみます。


(ア)「だろう」運転・・・・「出て来る」「出て来ない」の2つの判断
(イ)「かもしれない」運転・・「出て来る」「出て来ない」「(はっきり分からないが)出て来そう」の3つの判断が、それぞれの運転の中身になります。

 言い換えると、
(ア)の場合は、「ある」「ない」
(イ)の場合は、「ある」「ない」に加えて、「不確かさ(あいまいさ)」を持つ
という違いになります。

 その特徴は、
(ア)の場合は、「ある」「ない」の選択となり、どちらかに断定せざるをえない。そのときに、自分の都合の良いように考えがちである
(イ)の場合は、「不確かさ」を選ぶことができる。その程度を決めるのは、自分の知識や経験による
と考えられます。

 しかし、この「不確かさ」は、知識や経験によって変化するものです。見通しの悪い交差点を何度も通過していて、歩行者が「出て来ない」経験を積めば、「不確かさ」は、「確かさ」に変わるはずです。

 したがって、論理的には、「かもしれない」運転が、「だろう」運転になるという結論となります。あれ、おかしいなあ?・・・(次回に続きます)

(野村幸一)

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