こんにちは、野村です。
先日、知り合いに不幸がありました。幼い頃からお世話になっていた方なので、少しでも恩返しをと、朝からお手伝いをして、通夜を迎えました。
ただ、穏やかな最後を迎えたこともあり、会席の場はあまりしんみりとしたものにはなりませんでした。
そのうえ、ワタシの隣に座った方は、話し好きな方でした。でもよく聞いていると、話の中身は、あれを持っているとか、あそこへ行ったことがあるとか、そんな自慢話ばかりでした。
ワタシはそうですか、すごいですねと、あいのてを入れながら話を聞いたり、頷いたりしていました。
ところが話題が仕事のことになり、ワタシが「あの○○という会社はすごいですね。」というと、少し間があき表情が曇りました。
そして「あそこは、たいしたことはない。」と不機嫌そうに言われました。どうやら、ワタシや家族などがそこに勤務し、それを自慢していると勝手に思った様子です。
単にすごいといっただけで、それ以下でも、それ以上での意味もなかったのですが、勝手に自己の感情を投影して、意味付けをしたようです。
自己顕示の強い方は、自慢とセットで嫌味や嫉妬を連れてきます。面白いことに、自分の感情や言動をモニタリングすることが弱い方は顕著にでます。まさにそのケースでした。
他人の目を持って自分を見つめることをしないと、素直に話を聞くことができないし、正しく状況の認識ができません。これは交通安全も同様です。(逆に言うと、素直に話を聞けない人はモニタリングが出来ないのですが。)
どんなことにも、自己の感情や思考・行動をモニタリングが必要だなと、改めて感じた夜でした。
(野村幸一)