こんにちは、野村です。
ノーベル文学賞受賞者のミロッシュ博士が来日した際に「自由というものは、失って見ない限りその有難さは分からないものです。」と話されたそうです。
確かに自由の存在や大きさに気づくのは難しいことだと思います。
自由を謳歌している場合、そのことに気づきにくいです。逆に常に自由度がない場合は、不自由を感じず自由の存在が分からなかったりするのではないでしょうか。
さてクルマ。移動としてクルマは、便利な道具です。
例えば電車やバスなら、始発や最終など決められた範囲で運行します。運行計画に沿って走行します。乗車する場合は、予め駅やバス停で到着時間に待っていなくてはなりません。走行ルートも決められています。目的地の目の前まで連れて行ってくれはしません。
それに対してクルマは、行きたいところへ行きたいときに行くことができる自由度の高い道具です。
しかし、自由とは好き勝手に気ままに行動できることではありません。クルマを自由に使うには責任が伴います。事故や違反をしていると、免許証の停止や取り消しになり、運転することができなくなります。
運転の権利を行使するためには、交通ルールの遵守や自分と他者の安全を確保する義務を果たすことが求められます。当たり前のことですが忘れてしまわないことです。
(野村幸一)