こんにちは、野村です。
前回、あべのハルカスでの北斎展に行ってきたことを書きました。
実はワタシはこの夏、別の北斎展に2回行っています。それは、和泉市久保惣記念美術館での「冨嶽三十六景と東海道」です。
たまたま1回目は開催していることを知らずにふらっと訪ねました。
駐車場も館内もガラガラでした。静かな館内で、じっくりと近くから多くの浮世絵を見ました。
よかったという印象が残っていたので、もう一度見たいと思い、閉展まじかに出かけていきました。すると前回と全く違い、駐車場は満車でした。
空きスペースに誘導してくれた、いつもはいない係りの人に「今日は多いですね。」と声をかけると、「こんなに多いことなどないです。嬉しい悲鳴です。」と返ってきました。勿論館内は人で一杯でした。
ワタシもそうですが、人は何故もうなくなるとか最後であるとかになると、気になったり注目したりするのでしょうか。
閉店するデパート、走行をやめる列車、引退する選手や歌手など、最近あまり使ったり出かけたり、スタジアムやコンサートに行ったりしなかったのに・・・。
「ある」ときにはそれが当たり前と感じ、その状態が「いつまでも続く」と思うのかもしれません。
自由や安全はなくなってはじめて、その大切さが分かるといいます。とても難しいことですが、安全の大切さを感じ、考え、毎日を過ごしたいと思います。
(野村幸一)