野村監督そしてF君の思い出

 こんにちは、野村です
 
 子どものころF君という仲良しがいました。

 

 彼の父親の勤務していたのは南海電鉄。また、私達の家の近くに南海ホークスの2軍球場と宿舎が当時ありました。

 

 そんな影響で、ワタシも南海ホークスそして野村監督のファンとなりました。

 

 2人で冬のキャンプも何度か見に行きました。その頃のキャンプは今と違いのんびりしていました。ドラム缶の焚火で暖をとり、選手と笑っていた監督をよく目にしました。

 

 ワタシの隣にいた大人のファンが「チャンと練習しろよホンマ。そら南海よりPL学園のほうがいいトレーニングマシーン買うわ。」とボヤいていました。

 

 練習を終えて宿舎へ歩いて帰る野村監督を追いかけてサインをねだると、「俺みたいなもんのサインもろてもしゃぁないやろ。」と例の口調で言いながらも、2枚のサインを書いてくれました。

 

 ダメなことですが、どうしても中が見たくてこっそり宿舎に入ったことがあります。(ゴメンナサイ。) 門扉は開けっ放しで警備は緩かったです。今ならありえないことです。(入るほうがありえないですが。)

 

 一度難波の駅で監督を見かけました。パリーグはあまり人気がなかった時代です。南海ホークスのネクタイを締めて気づいてほしそうな顔で歩く野村監督に誰も気づかず、誰も声も掛けませんでした。

 

 熱烈な南海ファンのF君は、国立大学までストレートに進み、内科医になりました。長く会っていないけど元気にしているかなぁ。

 

 今回、監督にちなんだ、例えば組織論とかを書こうと思いましたが、何となく緩い思い出になりました。

 

 さて今の時代、のんびりさや緩さ、おおらかさが失われてきたと感じています。ルールを守ることは勿論大事なことだけれど、その前提にある寛容さを忘れないようにしたいですね。

 

 野村監督やF君のことを思い出してそう思いました。ご冥福をお祈りします。

                                           (野村幸一)

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