好きということ

 こんにちは、野村です。

 

 勤務途中、道路脇に目をやるとハトが二匹仲良く何かをついばんでいました。

 

 可愛らしいなぁとホッコリした気持ちになりながら、何気なく一生懸命食べているものを見ると、それは鳥のから揚げでした。

 

 骨を残して殆どワンピース綺麗に食べつくしています。

 

 ハトもから揚げが好きなのか、と微笑みながらつまらないことを思いましたが、よく考えると「これってヒョットして共喰い?」と急に怖くなりました。

 

 さてワタシはあまり「好き」へのこだわりはありません。

 

 から揚げも含め食べ物もそうです。車や運転、読書、美術や音楽、スポーツ、またそれらの鑑賞も確かにそれなりに楽しんではいます。

 

 しかしそれは、「これが好きだ!!」「何がなんでもこれがいい。」というほどのものではありません。大抵の事象や対象物における、「好き」の度合いは軽いものです。

 

 でも逆にあまり「好きでない」対象はいくつかあります。そのひとつは、「不誠実」なことです。「矛盾」している、というのもそうです。(チョット、カッコ良過ぎます。すいません。)

 

 この「好き」に対するこだわりの強い友人は言います。「自分の好みでしっかりと選びたい、選ぶことが生きるということだ。」と。

 

 そんな強い言葉になるほどと思いながらも、そうなんやと淡々と感じる次第です。(次回に続きます。)

 

                                           (野村幸一)

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