こんにちは、野村です。
お寺に参拝のため山道を走っていました。道幅が狭いところもありますが前車に追従しているので楽ちんです。
前車はスイスイとカーブを曲がり、すれ違いで対向車が止まり譲ってくれるとお礼の合図をしています。いい人です。
ところがあるカーブ。対向車が停止して譲ろうとしてくれたのですがそれが狭い場所でした。すれ違いができません。
すると前車は窓から手を出し「下がれ!」と大声を出しました。いい人じゃなかったんですね。
多くの宗派で「感謝」を説いています。この言葉が寺院の壁に張り紙されているのを目にしたりもします。
感謝とは当たり前のことだし、大抵の人が自分は感謝の気持ちを持っていると思っているのに何故強調するのか、とワタシは前から不思議でした。
でも前車の行動で気づきました。
自分のやって欲しい事を、やって欲しい時に、やって欲しいようにしてくれる。これを喜ぶのは自分の利が満たされたからであり実は感謝などではない。それを分かりなさいと説いてくれているのではと。
感謝とは利ではなく仁に対して、その対象は相手の行為ではなく動機に対してするもの、そんなことを教えてもらった秋の一日でした。
(野村幸一)